ヴィクトリアン

女王の輝かしき大英帝国

英国、ヴィクトリア女王統治の時代、つまり1837年から1901年の間に花開いた文化様式を指します。
世界各地を植民地化したことにより圧倒的な勢力を誇った大英帝国には世界中からの富と文化が流入し、経済・文化の発展が急速に促されました。まさに英国美術も黄金期を迎えました。

多くの歴史的様式が「リバイバル」として復活したり、植民地を通して異文化の流入があったりと、その長い治世の中ではさまざまなデザインリソースが見受けられ、混在しています。しかし、10年以上にもおよぶヴィクトリア女王の長い服喪期間に発展したモーニングジュエリー(Mourning Jewellry)はこの時代に見られる非常に特徴的な装身具と言えます。

◆主な展示デザイナー◆
ケイト・グリーナウェイ

喪失の哀しみと共にある装身具

モーニングは「mourning」とつづり、喪に服することや故人を悼むことを意味します。大切な人が亡くなると遺髪を編み込むなどして装飾的に細工し、ブローチや指輪、腕輪など身につけられるように仕立て、服喪期間に肌身離さず身に着けました。涙をあらわす小粒の真珠(シードパール)などと共にデザインされている場合もあります。

ブラックジュエリー、ジェット

伴侶であったアルバート公を喪うと深く哀しみ、長く喪服を着用しました。その長い服喪期間、黒いジェット(樹木が化石化したもの)と呼ばれる石の装身具をつけたため、ジェットを使った装身具が流行しました。ジェットは古代から珍重されてきた石ですが、治世末頃に閉鎖されるまで英国ウィットビー鉱山からは良質なジェットが採掘されていたといいます。

上流階級も恋した天然真珠

養殖技術が確立する以前の真珠は貝3,000個に対し1個あるかないかの大変貴重な産物で、人類最古の宝石のひとつでした。その希少性から天然真珠は上流階級の人々にとってさえ憧れの素材だったのです。
シードパールはその名の通りたいへん小さな真珠粒です。極小粒ゆえ、へりにどうしても出てしまう土台の色の映りこみを考えて土台には同じ色調の母貝(白蝶貝)を使用しました。その母貝を薄く彫りこみ穴を開け、同系色の馬の尾の毛でくくりつけるという手間のかかる工程で仕立てられています。

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