捧げられた才能たち
フランス語でオート(Haute)は「高級な」、クチュール(Couture)は「仕立て・縫製」という意味です。
デザインだけではなく、服を仕立てるためのパターン・縫製や刺繍などの技術的にも、また素材的にも最高品質を求めて作る特注の仕立服のことを指します。
基本となるデザインをベースにし、注文者の身体に合わせて仕立てる完全受注生産が大原則で、デザイナーの地位が非常に高い時代でした。この時代のデザインは注文者の大部分を占める富裕層の好みを強く反映する結果となり、各メゾンごとに独自性を持ち、非常に手間のかかる技巧的な作風が多く見られます。
またこの時代に活躍したシャネルやディオールといった有名デザイナーたちの名前は現代においてもファッションブランド名として受け継がれています。
◆主な展示デザイナー◆
トリファリ
コロー
ココ・シャネル
ミリアム・ハスケル
クリスチャン・ディオール
スキャパレリ
トータルコーディネーション
この時代はドレスを注文するとドレスとともに身に着ける各ファッションアイテム(装身具や靴、バッグ)もドレスにあわせてデザイナーが受注し、トータルコーディネート一式として納品されていました。そのため、装身具もパリュール(ネックレス・イヤリング・ブレスレットなど意匠が統一されたセットもの)という形が一般的でした。
存在感を放つためのガラス素材
写真は謎多きパリのコスチュームジュエラーであった「ヴァンドーム」の作品。30年代から40年代のエレガントなクチュール服に合わせていたと思われるカットガラスの装身具です。
当時は既に電灯も一般化していましたが、まだ室内照明の光量にも限界があり、シャンデリアランプなどがあっても今ほど部屋は明るくはありませんでした。そのため、夜の食事会などの際には少ない光を受けて輝くガラスの装身具が好まれたようです。
アメリカンカルチャーの台頭
アメリカでは1920年代からコスチュームジュエリーが広く受け入れられはじめていました。
そこに第二次世界大戦の戦火を逃れたヨーロッパのデザイナーや職人、文化人たちがアメリカに流入することで戦中に抑圧されていたファッションへの欲求が一気に爆発。一躍アメリカをファッションと文化の発信地として押しあげ、アメリカンコスチュームジュエリーもこの時期に最盛期を迎えます。
「自由の地」として階級意識が薄いアメリカのデザインは開放的で明快、ポップなものがよく見られます。音楽も1950年代はエルヴィス・プレスリーをはじめ、テンポのよいロカビリー(カントリー音楽の一種)がおおいに流行しました。